読んで字のごとく、お茶で炊いたお粥のこと。和歌山の人にとっては「子どもの頃たまに食べたな〜」とか「茶粥大好き」など個人によって程度の差こそあれ多くの人に馴染みが深い食べ物ですが、県境をほんの少し超えた大阪府下では一切食べないという不思議な食べ物です(少なくとも県境で育った筆者の父親は茶粥を一度も食べたことがありません)。ちなみに和歌山以外では奈良県や高知県の一部の地域でも食べられるそうです。
さて、歴史を振り返ると、和歌山もとい紀州藩の江戸時代の石高は全国5位。これはとても大変なことです。なぜなら県全体の面積に占める森林率は76.4パーセント、堂々の全国6位なのですから。山深い地形ながら江戸時代の紀州の人々がいかに頑張って年貢を収めていたのかとわかります。そこではた、と気づきました。年貢を納めるために農民は茶粥を食べてきたのではないか?さらに空想を膨らませてみると、和歌山の人が謙虚なのはこの質素な食生活があったからではないか?
水を吸ったお粥のように膨らみ続ける茶粥の謎を解明するべく、茶粥エピソードを採取します。